浅野家由来の神社は広島の歴史そのもの
饒津神社(にぎつじんじゃ)は二葉の里地区の一番西側、ほぼ猿猴川に隣接場所に位置する神社です。
神社の由来は、歴代の広島藩主を祀ったもので、広島初代藩主の浅野長政、長政の奥方である未津姫、二代幸長、三代長晟、それから第14代長勲が御祭神とされています。
浅野家を祀り、広島藩の鎮守という性質であったので、その歴史は比較的新しく、浅野家6代の綱長が1706年に長政の位牌堂を建立したことに始まります。
1945年の原子爆弾の投下により、神社は壊滅的な被害を受けましたが、1984年に本殿をはじめとする建造物が再現、2000年には、参道にあります唐門も修復され現在の姿をとなりました。
饒津神社入口付近から、整然と石畳が続くとても整った景観が特徴です。
被爆松の保存、展示
被爆前は、神社の建立時に植栽した20数本の黒松が林立していたということですが、数十本を残すのみとなり、徐々に枯れていき、平成15年についに最後の1本が枯れてしまったということです。
傍には、松の材料として屋根が作られ、そこで切り株が大事に保存されています。
二葉の里の七福神めぐり
参道の左側には、広島藩にゆかりのある儒学者などの碑が建っています。
そのいっかくに商売繁盛の恵比寿天が祀られています。
二葉の里の神社には「広島二葉山山麓七福神めぐり」と題され、いろいろな神社で七福神が拝めますので、ここはひとつあやかっておきましょう。
立派な唐門です。唐門は原爆で焼失の被害を受けましたが平成12年に復元、唐門の下にある石垣は1835年に造られたという古いものだそうです。
参道から見た拝殿の向きが変わっているぞ
この石段を上るといよいよ拝殿が見えてきます。
ところで、この石段、ちょっと変わっていると思いませんか?
普通は、石段を上ると正面に拝殿、その奥に本殿があるはずなのですが・・・
その理由は、拝殿から直線上に広島城が見えるよう、角度を調整して建造されたからだそうです。
こんな場所にまだあった!広島市内で唯一残された自然護岸
ちなみに、拝殿の左側奥からは「広島市内で唯一残っている自然の護岸」を眺めることができます。
確かに、川べりに葦が茂り一瞬、広島市内を流れる川とが思えませんでした。
この奥には浅野家にゆかりのある碑が建っています。
こちらは「石水盤石灯篭銘」という1810年に長政公の法要が営まれた際に、手水鉢とともに奉納されたもので、272名の刻銘がされています。
これは「浅野長勲」の碑です。長勲公は、江戸後期から昭和初期までを生き抜いた最後のお殿様といわれ、日本の近代化にも大きな役割を果たしました。
史跡、学校、公共施設など、広島市内には長勲の寄贈によるものや、私財により創設されたものが多く残されています。
饒津神社の紹介は以上となりますが、もともと広島藩の鎮守として創設された饒津神社、浅野家の歴史にもちょっぴり触れることができ、なかなか興味深かったです。
饒津神社の場所とアクセス
饒津神社 | 広島市東区二葉の里2丁目6−34 |
---|---|
アクセス | 広島駅北口から徒歩15分 |