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西部埋立第二公園

広島市西部の埋立地に整備された10の公園を紹介する「広島市西部埋立公園シリーズ」

今回は、10ある公園の中でも一番歴史を感じられる「西部埋立第二公園」をご紹介します。

まず立地についてですが、西部埋立第二公園は、第一公園そばにある陸橋からも見えるほど近くに位置しています。
そして同様に公園の北部にJR山陽本線と国道二号線(宮島街道)が並走するという場所に位置します。
所在地は、広島市西区井口明神2丁目10となります。

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西側入口付近にあるあづま屋、その奥に「明神池」という池があり、さらに池の中央には「小己斐島」(こごいじま)という島があります。紅く色づく紅葉も大変美しいです。

島でピンときた方はお分かりかもしれません。かつてこの地域には海が広がっており、公園の名前からもわかるように、埋め立てを行った場所であるということです。そして明神池の水は現在でも海水が流れ込んでおり、潮の満ち引きで、水位が上下する珍しい池なのです。

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池のそばには丁寧な解説が設置されています。

以下解説より引用

⑥小己斐島

小己斐明神は、その昔、平清盛が厳島神社を造営の際、鈴が峰から木を切り出し刻印を打ち筏を組み、この明神の浜から送り出したことから「刻印の明神」といわれていた。

寛政三年(1791)に己斐村の人々が、阿瀬波地先に入川新海を造成、己斐旭山神社から分祀し、「刻印の明神」と併祀し、「小己斐明神」といわれるようになった。また、子宝の神「子乞明神」とも呼ばれていた。ご神体は、大正二年(1913)大歳神社に合祀された。

井口沖が、海だった頃、男明神と女明神と呼ばれた二つの島があり夫婦島として有名だったが、昭和初期、現在の国道建設で女明神島が姿を消し男明神(現小己斐島)だけが残った。小己斐明神は、岡岷山の都志見往来諸勝図「井ノ口」にも描かれている。

昭和二十年代以降、小己斐島は船溜まりの防波堤の一部にもなり、井口漁港として使われた。今も当時の雁木の一部が残り、往時を物語っている

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名前の由来が平清盛の頃にさかのぼるなんて、随分と歴史深い島だったんですね。

島の正面向かって右側の石垣は以前の船着き場だったのでしょうか。

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さて、歴史についてはこの辺までとして、公園の様子をご紹介したいと思います。

公園南側の遊具コーナー

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造成されて半世紀は建つでしょうか、木々もしっかり根を下ろして、公園内にたくさんの木陰を作ってくれています。

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公園東側は広大なグラウンドになっています。

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それでは、次は西部埋立第三公園のご紹介に移りたいと思います。

西部埋立第二公園へのアクセスMAP

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