広島県の北広島町、この地には悠々と咲き誇る立派な一本桜の名所がいくつもあります。
「石橋正光屋敷跡の桜」もその一つで、その名の通り、江戸末期に活躍した芸北出身の刀工「石橋正光」の屋敷に植樹されたエドヒガンの一本桜です。
現在では正光屋敷は存在せず、道路側から見える石垣が残るのみです。
場所はこちらです
所在地 | 広島県山県郡北広島町移原 |
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桜もさることながら、石垣の様子からして、立派な屋敷が立っていたことでしょう。
正光は、広島藩において、高度な刀づくりの技術が認められ、京都で刀鍛治の修業を積み、この地に移り住んだといいます。
下から見上げる桜。
桜のそばに立っている石碑です。
「芸州出雲大掾正光鍛」とありますが、調べてみるとこれは「刀銘」という刀に刻まれる作り手の名前ということです。
現代でいう「ブランド」といったところでしょうか。
碑の裏側には正光の生い立ちが記されています。
この桜、品種はエドヒガンというもの、この品種にしてはピンク色が強めです。
若干しだれのようにも見え、とても繊細な枝ぶりをしています。
見る角度によって違う表情を見せてくれる・・・
幹回りはすらっとしており、とても整った形が美しい一本桜でした。
ところで、エドヒガンは「彼岸ごろに花を咲かせる」ことからその名前がついたということですが、今でいう彼岸はだいたい3月20日前後になりますので、とても桜が咲いている時期とは思えません・・。
この写真を撮影したのはちょうど4月17日のことです。
そこで、旧暦カレンダーを見てみると、4月12日頃が彼岸にあたっていましたので、たぶんエドヒガンの名前の由来の彼岸は旧暦の彼岸の事を指しているのではないかと…
お詳しい方にご教示願いたいとは存じますが、傘寿を前にしてこの世を去ったという正光とこの桜に思いを馳せ今日はこの辺にて・・・
名匠石橋弘之進正光翁は享和2年4月5日高野に生まる 幼名兵七 20才の頃より父祖の業を継ぎ 京都において刀剣鍛錬の技を修む 文政年間出雲大掾を受領し 天保8年分家して当移原に住するに至る また時の芸州藩主にその鍛刀せる大小一腰の名刀を献上したるところ大いに嘉賞せられ 藩の優遇のもとに藩工となり名字帯刀を許さる 明治12年11月22日78才にしてこの地に歿す
広島近辺の桜については、次のリンクの記事でも情報をまとめていますので、よろしければご覧くださいませ。
隠れた桜の名所もたくさんご紹介しています。