広島東照宮、その成り立ちは?
東照宮は広島駅北口から徒歩15分の場所に位置します。その成り立ちは正保3年(1646)に時の広島藩主「浅野光晟(あさのみつあきら)」が徳川家康の霊を祭るために造営したことに始まります。
ちょうど、徳川時代3代の家光公の繁栄の時代にあたり、家光公は初代将軍家康のために東照宮を日光に造営したのですが、各地にも同じように東照宮の造営を勧めました。
とりわけ、浅野光晟の生母が家康の三女である振姫君であったため、光晟は熱心に東照宮の造営に取り組んだといわれています。
広島藩主の浅野家といえば、現在の広島にもつながる基盤を築いた幕末最後のお殿様「長勲公」が有名なのですが、2代藩主となる光晟公も検地、税制改革、西国街道の整備など、数々の藩政改革を行ったいわば広島の立役者でもあります。
それでは、境内の様子をご紹介していきたいと思います。
日光東照宮の様式に倣った唐門
遠くからでも目立つ立派な唐門は日光東照宮にならって造られたということです。
東照宮も原爆により、甚大な被害を受け、本殿、拝殿をはじめ、多くの建造物が消失してしまいましたが、唐門と手水舎などいくつかは大破、傾き、焼失を免れました。
広島東照宮本殿
こちらが広島東照宮の本殿です、ちょうど石段を上った正面から右側奥に回った付近からの写真です。
昭和59年の再建となりますが、朱塗りの社殿、そりあがった屋根の装飾(唐破風-からはふと呼ぶそうです)が大変美しいです。
広島東照宮拝殿
正面入ってすぐの拝殿です。昭和40年の「350年記念大祭」で再建されました。
手水舎と御供所
神社に入りますと必ずある手をお清めする場所のことを手水舎(てみずや)といいます。手水舎を覆うように作られている建物は、総朱漆塗や蛙股などが用いられ、桃山時代の建築様式を残した建物です。
その奥には御供所(ごくうしょ)と呼ばれる神様へのお供え物を整える厨房として使われていた建物があります。
この御供所は、全国の東照宮でも例が少なく、最古のものとして貴重な建造物で広島市重要文化財に指定されています。
広島東照宮への初詣
初詣ともなると広島東照宮は多くの参拝客でにぎわいます。
特に混雑する時間は元旦0時および9時からの午前中です。
公式サイトの情報では、御祈願受付は次の通りです
元日 | 午前0時~午前2時 午前7時~午後5時30分 |
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2日(水)・3日(木) | 午前8時30分~午後5時 |
4日(金)・7日(月) | 午後1時~午後4時15分 |
上記以外 | 午前9時~午後4時15分 |
お守り・お神札等授与所受付
元日 | 午前0時~午後7時30分 |
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2日(水)・3日(木) | 午前8時30分~午後6時 |
4日(金)・7日(月) | 午前8時30分~午後5時 |
上記以外 | 午前9時~午後5時 |
広島東照宮、初詣での駐車場は?
広島東照宮には駐車場も設けられていますが、予想される混雑度から言って、初詣での利用はほぼ不可能と思ってよいでしょう。周辺のコインパーキングの利用をおススメします。
終日700円から1000円前後で利用できるところが多いようです。(2018年調査)
ジャンボ釜ぞうに
大みそかと元日には御神水を使用した雑煮が販売されます。
1トンの量、2,160リットルもの雑煮をこの巨釜を使って調理されるということです。(2018年情報)
これをいただくと一年の運気も高まること間違いなしかもしれませんね。